心理カウンセラー/心ほどき僧 玄真(げんしん)
初めまして。心理カウンセラーの玄真(げんしん)と申します。
お寺の住職を務めながら人生相談やお悩みごと相談を受けております。
主に・・・
・人前に出るとあがってしまい頭の中が真っ白にってしまう
・対人関係(家族・職場・近所付き合い等)で疲れてしまう
・訳の分からない不安で夜も眠れなくなってしまう
・過去のトラウマがフラッシュバックして恐怖感に襲われる
・職場の上司や同僚を思い出しただけでムカムカする
・明日は職場の会議でプレゼンしなければと思うとお腹が痛くなる
以上のような思いで悩んでいる方は私のカウンセリングが、お役に立つかも知れません。
私のプロフィールを読んでみて下さい。
「死への恐怖」と「空虚な強さ」を握りしめた日々
私の原体験は、幼少期の「窒息するような死の恐怖」にあります。
虚弱体質で、高熱が出るたびに喉が腫れ上がり、呼吸すらままならない。
子供心に「このまま死ぬのではないか」という闇を何度も味わいました。
成長するにつれ、その恐怖を振り払うかのように私は「強さ」に執着しました。
小学生になったころにはブルース・リーに憧れ「自分もあんなふうに強くなりたい」と思い
拳法や空手を習いたいと親に懇願しましたが、貧しい我が家では当然ながら道場に通わせて
もらう事などは叶わず、書店で教則本を買い求め、独学で武術や格闘技を身体に叩き込み
心に空いた穴を、拳を固めることで埋めようと必死になっていたのです。
暗い玄関と夕暮れの恐怖
「心に空いた穴」と言いましたが、当然その時点で自分の心に穴が空いているなどと思っていた訳ではありません。
そもそも我が家が貧乏暮らしをしている元凶は遊び人でギャンブル好きの父親が、ろくに生活費を家にいれなかったため、ほとんど母のパート収入だけが頼りでした。
一人っ子だったので周りからは「大事に育てられたんだろう」と、よく言われましたが両親が共働きという事もあり兄弟がいない私は夕方になって遊び友達がそれぞれの家に帰ってしまうとたちまち一人ぼっちになって、最近ではあまり聞かなくなりましたが当時は「カギッ子」と言われ、自分で暗い玄関の戸を開けて誰もいない家の中に向かって「ただいま!」と言うことの寂しいような惨めなような気持ちになり、あの頃は夕暮れ時になると家に帰るのが怖かったのが今でも忘れられません。
しかし時間だけは有ったので虚弱体質を改善するために教則本とにらめっこしながら武術の基礎を身につけ同時に筋トレも欠かさず小学五年生にして腹筋が割れるほどになり、おかげで中学生から高校生にかけては身体が丈夫になっただけにとどまらず、喧嘩でも負け知らずになりました。
しかし師範に付いての武術修行なら技術や体術だけでは無く心を磨く訓練もするのでしょうが、「自己流」は「事故る」と言われるように、その強さは脆いものでした。
高校卒業と同時に就職し、友人から紹介された女性(今の家内)と25才にして結婚し子供も生まれ順風満帆のように思っていましたが・・・
「自分は強い」という過信は社会での衝突を生み、気に入らない事があると会社の上司や先輩、
挙げ句の果てには社長にまでくってかかり転職を繰り返す荒れた日々・・・
すでに結婚している身にも関わらず、ろくに収入も無く「この調子で家族を養っていけるのか?」・・・途方に暮れていた27歳の秋、どん底の淵で私の人生を変える師僧(大僧正)との出会いがありました。
エリートへの劣等感と、一杯の麦茶が教えてくれたこと
師の導きで、私は僧侶への登竜門である「百日間の修行」に身を投じます。
ともに修行する仲間は、東大卒や仏教系大学のエリートばかり。
高卒の私は誰に何か言われたわけでもないのに、勝手に周囲を色眼鏡で見ていました。
「お寺のボンボンには負けない」「ケンカなら俺の方が上だ」
顔ではお経を唱えながら、心の中では見えない敵と戦い、コンプレックスという鎧を分厚く着込んでいたのです。
しかし、そんな私の心を溶かしたのは思いがけなくも彼らの真っ直ぐな優しさでした。
修行中に迎えた29歳の誕生日。酒、タバコ、生臭物を口にするのは御法度の中、仲間たちが麦茶を掲げ笑いながら「おめでとう!」と祝ってくれたのです。
ーーーその瞬間、心が震えました!
「戦っていたのは、相手ではなく自分自身だった」
ーーーと気づかされたのです。
卑屈な執着を手放したとき、初めて本当の「心の静寂」を味わいました。
なんとか最後まで修行を終え、清々しい心で山を下りてきましたが、後になって振り返ると、あのコンプレックスも厳しい「百日間の修行」を耐え抜く原動力になったようにも思えます。
「お米がない」という絶望と、貧しさを味わう日々
無事に修行を終え、正式に僧侶という資格を得た私を待っていたのはさらなる現実の試練でした。
師のお寺での奉公は、朝から晩まで休みなし、給料はお小遣い程度。
元々少なかった貯金は底をつき、ついに妻から「お米を買うお金がない」と告げられたのです。
その時、かつての落語の名人「古今亭 志ん生」が遺した
「貧乏はするもんじゃねえ、味わうもんだ」
という言葉を思い出し、笑えるようで笑えない不思議な気分をしみじみと味わいました。
将来に対する漠然とした不安
・・・が影響したのか、ある日突然身体に不調が出始めました。
葬儀や法事に出仕するようになり、読経は問題なく唱えられる。
けれど、人前で話す――「法話」となると、状況は一変しました。
声は震え、顔は熱くなり、足元の下駄がカタカタと音を立てるほど震え
吐き気どころか胃袋が喉から飛び出るような気がする・・・
「強い自分」で生きてきたはずの私が、
人前に出て緊張すると何もできなくなる。
ここで初めて自分が「あがり症」であることに気づきました。
その現実に、私は大きな衝撃を受けました。
――自分は、こんなにも弱かったのか。
そして、その「あがり症」はやがて、さらに深刻な形で私を襲います。
原因不明の恐怖とパニック障害の発症
ある時から突然、胸が締めつけられるように苦しくなり、喉が詰まるような感覚に襲われ、食べ物が通らない。
夜中に目が覚めると、理由のわからない強烈な不安感に襲われ、
「このまま自分はおかしくなってしまうのではないか」
そんな恐怖に押しつぶされそうになるのです。
原因がわからない――
それが何よりも人の心を追い詰めるのだと、私は身をもって知りました。
そんなある日、新聞の記事で
「パニック障害」という言葉に出会います。
『以下の症状がある人は「パニック障害」の可能性があるので「心療内科」を受診して下さい。』
ナント! そこに書かれていた症状のほとんどが、
自分に当てはまっていました。
――やっと、辛い症状の正体がわかった。
それだけで、涙が出るほど救われたのを覚えています。
しかし、そこからも簡単ではありませんでした。
今でこそ「パニック障害」という言葉はよく聞きますが、当時はまだ病院のドクターや
看護師にさえ、ろくに認知されていない時代でした。
何件、病院を回っても受付でーーー
「シンリョウナイカ・・・神経内科じゃないですか?」
そんな調子で話しが通じないのです。
すると受け付けと私のやり取りを聞いていた一人の看護師さんが看護師仲間からもらったという
名刺を手渡してくれました。
その名刺に「心療内科 ○○○○医師」と書かれているのを見て
「やっと救われた~!」と思いました。
ネットもスマホも無い時代、ここまでにどれだけ月日が経過したかーー
しかし期待に反して・・・
ようやく専門の医師と出会い、「パニック障害と言う言葉は、まだ日本ではあまり知られていませんが不安障害として昔から有ったものです」等、医師の説明を受け私は少しずつ自分の状態を理解し始めたものの、満足のいく成果は得られませんでした。
医療に限界を感じた私は、仏教の考え方を勉強し直すと同時に心理学やカウンセリングの本を読みあさり、またカウンセリングの実践を学ぶための講座を受講し、自分の心身で実験を試みました。
すると、仏教経典に書かれていることと心理学やカウンセリングの手法に共通点が多いことに気づきました。
本来、僧侶である自分は「心の専門家」であるべきなのです。
しかし普通にお経を唱えたり経典を読んだりしているだけでは分からなくて当然でしょう。
苦しみを味わった者が違う角度から見て初めて気づくことがあるのです。
その事に気づいてからは仏の教えにカウンセリングの手法を取り入れ、試行錯誤を繰り返しながらワークを実践していくうちに、その症状は薄皮を剥ぐように回復していきました。
完全に治ったのかどうかは分かりませんが、あの頃のような
「得体の知れない不安の恐怖」
に、飲み込まれる事はなくなりました。
この経験を通して、私は確信しました。
ーーー人は、「わからない苦しみ」に最も追い詰められる。
そして、「理解されること」で、初めて回復が始まるのだと。
かつての私は、
強さに執着し、
弱さを否定し、
誰にも頼れずに生きていました。
けれど今は違います。
不安も、恐怖も、劣等感も――
すべては「生きようとしている心の反応」なのです。
もし今、あなたが
・理由のわからない不安に苦しんでいる
・人前に出るのが怖い
・誰にも理解されない孤独を感じている
のだとしたら――
私は、その感覚を「知っています」。
知識ではなく、体験として。
だからこそ私は、
あなたの話を否定せず、急がせず、
自分の事のように聴くことができます。
あなたの中で絡まってしまった心は、
必ず、ほどくことができます。
そのお手伝いをすることが、
今の私の役目です。
エリートへの嫉妬、将来への不安、そして明日の米さえままならない焦燥。
私は僧侶でありながら、人間が抱えるあらゆる「泥臭い苦しみ」を味わってきました。
あなたへ:煩悩は、あなたの力になります
不安、あがり症、対人恐怖、そして拭えない劣等感ーー
これらはすべて、かつての私が抱えていた重荷です。
私は35年の僧侶生活を通じて学びました。
ーー「弱さや煩悩は、消そうとするほど強くなる。
けれど、丸ごと受け入れれば、それは生きるためのエネルギーに変わる」
ーーということを。
「逆転の法話」カウンセリングでは、私が死の恐怖や強い不安を乗り越えて会得した「執着を手放し自由に生きるための智慧」を、具体的にお伝えします。
もし今あなたが暗闇の中にいるのなら、その心の声を私に聞かせて下さい。
あなたの心の「結び目」を、一緒にゆっくりとほどいていきましょう。
私のカウンセリングについて
私は「正しさ」を押し付けることはしません。
宗教じみた説教をするつもりもありません。
また、無理に前向きにさせることもしません。
ただ、あなたの中で絡まってしまった心を
少しずつ「ほどいていく」お手伝いをします。
・怒りが抑えられない
・人間関係で疲れてしまう
・自分に自信が持てない
・孤独や不安が消えない
・人前に出るとあがってしまう
もしあなたがそう感じているなら、
それは「弱さ」ではなく「これまで必死に生きてきた証」です。
今のあなたの心の状態には、必ず理由があります。
私は僧として、心理カウンセラーとして、そして一人の人間としてあなたの話を聞き、
絡まってしまった心を少しずつ解いていくお手伝いをさせて頂きます。
心の解きめから、必ず光が差し込んで来るでしょう。